三宅島の過去・現在・未来


(更新日:2016.08.04)
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Photo:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f8/Landsat_Miyakejima_Island.jpg

 2000年の噴火の後、2005年の帰島許可後から本格的にスタートした三宅島の復興計画には、島民の意見を反映したものがある一方で、島民の生活のためとは必ずしも言い難い政策が行われているという問題が存在する。このように、島民の要望と政策と間に少なからずギャップが発生しており、近い将来、住民の不満が積み重なっていっそう住みにくい島になりかねない。
 2011年11月11日(金)~13日(日)にかけて行われた第二回三宅島ツアーでは、三宅村村長を含む島内住民の方々と、大学生中心の島外ツアー参加者とが、上記のような三宅島の現状について問題意識を共有し、将来起こりうる問題に対して真剣に議論を交わした。


三宅島の交通事情

(1)島へのアクセス
(A)船
 三宅島行き定期船は、東京都浜松町駅近くの竹芝桟橋から三宅島、御蔵島経由八丈島行きの東海汽船の客船が毎日1便就航しており、三宅島に行く場合は22:00頃に竹芝桟橋を出港し翌朝5:00頃に三宅島に入港する。逆に帰りは14:00頃に三宅島を出発し20:30頃に竹芝桟橋に到着する。
 値段に関しても、一番使われる2等和室が片道6000円程度とリーズナブルなため、観光客や島民のほとんどが船を用いて島へ乗り入れる。また就航率も年間平均で8割程就航するなど、航空機の就航率に比べてかなり安定している。
 また現在、三宅島と本土を今よりも短時間で結ぶジェットホイル船の就航の声が高まっているが、ジェット船が就航した場合、ジェット船に積める物資の量は客船に比べて少ないため、島への物資の供給が行いにくくなるという問題や、ジェット船の方が波の影響を受けやすいため就航率が低下するという問題の発生が考えられており、実現には至っていない。

(B)飛行機
 航空機は現在、羽田空港と三宅島飛行場を結ぶANAの便が羽田を11:45に出発し、12:30三宅島着、13:15三宅島発13:55羽田着の1往復している。値段に関しては正規運賃が15,000円程度と高く、ビジネスマンが主に利用している。また、飛行場が火山ガスが比較的多い島の東部にあり、主に火山ガスの影響で就航率が約40%とかなり低いことが問題となっている。
 現在、三宅島行政が島において最も問題としているのは、現在三宅島に就航している航空機が2014年には退役してしまうことである。退役に伴い路線が廃止されるため、対応策として三宅村としては3つの方法を考えている。
①新しい航空機をANAに就航してもらう
沖縄の島々を結んでいる路線があり、そこで運航さ れている小型飛行機は三宅島でも利用できるため、同種の機体を三宅島の便で運航してもらう。
②滑走路を延長する
現在の滑走路は1200mと短いため、1800mまで延長することで、大きめの飛行機でも離着陸できるようにする。
③他の会社から航空機を買い上げANAに運行しても らう
ANAが機体を提供してくれない場合は他社から機体を買い上げ、ANAに委託する。

[C]その他の交通
伊豆諸島同士を結ぶヘリコプターがあり、それを利用することで、羽田から八丈島経由で三宅島に行くことができる。

(2)島内の交通
 島内には島を一周する都道があり、その道がメインとなる。鉄道などはないため、自動車が主な交通手段である。村営バスはあるものの、島内を右回り、左回りするバスがそれぞれ一日5便でているだけであり、最終便が夜遅くまでないこともあってなかなか不便である。観光をするにはレンタカーなどの自動車が必須であろう。
 信号は島内に3ヶ所しかなく、そのうち1つは小学校の前にある。子供たちが島外に出た時に信号を知らないと困るので、教育のために設置しているそうだ。


三宅島の産業事情

 2000年噴火以前の三宅島の産業は、農業や漁業、自然を活かした観光業が中心だった。ただ、これら農業・漁業・観光業のどれかひとつを専業としている家は少なく、複数を組み合わせる兼業によって生計を立てる家が多かった。
 2000年の噴火による影響は多大なものであった。1次産業のうち農林業においては、多量の降灰は土石流による直接的な被害に加え、火山ガスの噴出と長期の避難生活により、農地の荒廃や森林植生の壊滅という深刻な被害を受けた。水産業においても、避難解除後に水揚げ作業が再開されたものの、港の被害や漁師の減少によって漁獲高は落ち込んでいる。
 3次産業、中でも特に三宅島が力を入れている観光業については、1964年に富士箱根伊豆国立自然公園に編入されて以来、世界有数のバードウォッチング地やダイビング場として利用されていたが、噴火後は観光客が噴火前の年間8万人から半減している。その原因として、火山ガスの放出やアクセスの不便さ、民宿など宿泊施設の半減などが挙げられる。


Www.miyakemura

http://www.miyakemura.com/

 

東京都三宅村公式HPです。

復興に向けた取り組み

<灰干しプロジェクト、始動!!>
灰干しとは?
灰干しとは高級干物のこと。木や炭を燃した灰ではなく、火山灰によるサンドイッチによって低温熟成させた干物である。旨味が増して、味は格別。火山灰を活用した新たな産業として注目される。

いきさつ
三宅島は、2000年の大噴火による全島避難以後の復興途上にある。また、漁業についても従事者の高齢化の影響も重なり、衰退してきている。
ようやく定置網漁は復活したが、東京までの搬送費用が高くなり採算が合わないゴマサバなどの魚種は沖で捨てているのが現状である。また、獲れるにもかかわらず、消費量が少ないために敢えて獲らないトビウオなどの未利用魚種も多い。
しかし、三宅島の火山が造る火山灰や礫を利用する「灰干し」加工の発想によって、このような三宅島の豊富な、しかも利用されていない魚に商品としての付加価値を付けることが可能になる。
この取り組みによって、島内の民宿やレストランの特色ある料理や土産として活用するだけでなく、東京、そして全国にも出荷できる可能性が出てくる。漁業と加工業の復活のきっかけとして、また、高齢化が進む漁師の後継者問題の解決、島外の人材の受け入れ、島内の若者の就業のきっかけともなるだろう。

灰干しができるまで
①三宅島の漁港に水揚げされたキンメなどの魚
②獲れた魚は内臓などを取り除いて開きにする
③一旦塩水に浸しておく
④特殊フィルムで挟んだ魚の上下を布または不織布と火山灰で覆う
⑤その後20時間ほど、この状態で低温熟成させた後に、灰干しの完成
(引用:三宅村役場のホームページを元に、一部改変を加えた)

<バイクレース開催>2007年~
火山噴火による災害の復興策として、主に観光客誘致などを目的としてイギリスのマン島で行われているマン島TTレースを参考に、東京都知事である石原慎太郎がオートバイ(二輪車)レースの開催を提唱し、2007年11月16日から11月18日にチャレンジ三宅島モーターサイクルフェスティバルが開催された。以後、2008、2009、2010年と開催されてきた。噴火後の火山灰が残るオフロードを、上手く活用できないかとの発想である。
 しかし島では火山ガスの噴出が続いていることや公道の広さが十分ではないことから安全面での懸念があり、日本の主要オートバイメーカーの多くが協賛を見送った。その結果当初予定されていた島一周という規模から縮小して開催された。
 オートバイイベントが三宅島の復興にどれほど寄与しているかという達成度は不明確であるとの指摘もある。一方で参加者からはイベントの成果を強調する声も聞かれた。

<三宅島大学、ついに開校!>2011年9月
『「三宅島大学」は、三宅島全体を〈大学〉に見立てて、さまざまな「学び」の場を提供する仕組みです。それは、自然との長い関わりについて考え、私たちの「想う力」を育む場です。 学校教育法上で定められた正規の大学ではありませんが、〈大学〉の講座やプログラムを通じて人びとが出会い、のびのびと語らう「学び」の場をデザインし、コミュニケーションの誘発を試みるプロジェクトです。

 「三宅島大学」は、講義や実習ばかりではなく、課外活動や 〈学生街〉の役割もふくめて構想したいと考えています。既存のさまざまな実践の理解、豊かな地域資産の発見・再発見 を通じて、多様な連携の可能性を見出すことも重要な課題として位置づけています。

 誰もが学生に、あるいは教員になって、三宅島での「学び」 がはじまります。三宅島には、〈未来のいま〉があります。人びとや自然に向き合い、逞しくて優しい未来を実感するために、船に乗りましょう。』
三宅島大学ホームページより抜粋記事


三宅島(雄山)の噴火被害に関して

 三宅島では、2000年に島中央部に位置する雄山が噴火し、初の全島避難が実施された。以下では、噴火・被災の概要、噴火災害における避難の様子、帰島および復興の様子を述べる。

1.噴火および被災概要
 2000年の雄山噴火は過去に例のない大規模噴火であった(新たに火口にできたカルデラは深さ500m、2500年前の噴火規模と同程度のもの)。火山ガス(二酸化硫黄)の規模も世界的に殆ど例を見ないものであり、またこのガスが島民にとって帰島・復興を阻むネックとなった。
 この雄山噴火によって受けた被害の種類は多様であり、間接的なものも含めるとかなりの数に上る。泥流による家屋倒壊、農地の腐敗、風化による白アリ被害、塩害、火山ガスなどきりがない。一回の噴火だけでもその及ぼす影響は甚大かつ深刻である。

2.避難の様子
 この噴火によって三宅島初となる全島避難指示が出され、全ての島民は島を離れることとなった。本土への避難当初、島民の多くは3カ月未満に帰島できるものと考えていた。しかし、一年後以降の継続的な一時帰島はありつつも、結局避難指示が解除されて本格的に帰島したのは4年半後の2005年であった。
 島民の避難先での生活は困難の連続であったと言える。一部の例としては次のような事項が挙げられる。
・避難前に火山ガスを吸い込んだことを原因とする慢性的な気管支炎
・児童の集団疎開(親との別居生活、心的ストレス)
・収入、特に高齢者の再就職
・島内自宅に対する心配(一時帰島への願望)
島民は、避難生活での生活設計とは別に帰島後の生活再建に必要となる資金を貯蓄する必要にも迫られていた。また、情報が行き届かないこともしばしばであり、一時帰島を望む声がはじめの一年の間多く寄せられた。避難の長期化を覚悟するようになった島民にとって、就労(収入源の獲得)は大きな問題であった。

3.帰島、復興
 帰島に際して、住民にとってはいくつかの懸念があった。安全面、住宅補修および再建、産業再生である。前二つに関しては、帰島するにあたり行政によって一定程度の準備が為されたが、最も深刻なのは産業再生の問題であった。借金の返済、風評被害、過疎化した島内での経営が困難であることなどが挙げられる。
 また、本土で避難生活を送っていた多くの若者が就職の為(避難中に見つけた、あるいは島での就職に見込みが無かったことが理由)、そのまま帰島せずに本土に住むことを決めた。これによって島の後継者不足が噴火以前にも増して深刻化した。
 以上の安全・住居再建・産業再生に対する懸念を抱えながら、三宅島の復興は進められた。現在でも火山ガスによって居住または観光業が阻害されており、また主に過疎化を原因とする産業の再生についても課題が山積している。


Www.miyakejima-university

http://www.miyakejima-university.jp/

 

三宅島大学プロジェクトは、学長である三宅村村長を中心に、いくつかの大学教員が運営する文化事業であり、東京文化発信プロジェクト室における拠点形成事業「東京アートポイント計画」のアートプロジェクトとして展開されています。

あべとしきの投稿

http://www.asahi.com/national/update/0417/TKY201304170384.html


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